近江(湖東産地)は、四周を山々に囲まれ、中央の琵琶湖より発する湿気が多く、特に湖東地域は、鈴鹿山脈から溢れ出る清水など、全体から見て、非常に高温多湿で内陸性の気候になっております。湖東麻織物産地の発展要因として、自然条件が「麻」の製織、染色、仕上加工に最適であることが挙げられます。
また大阪、京都に近いことから陸路は中仙道が通り宿駅として、水路は琵琶湖の水運を利用して港町として交通の要所となり、人や物の往来が盛んでした。湖東産地では、古くは室町時代から麻布が生産されていました。湖東近郊の各近江商人の近郷行商の手により流通過程を通して、近江商人の伝統的な力を発揮し歴史の流れの中で消費動向に敏感に対応しながら各業種が連携をとって発展してきました。
「近江の麻」は、県内の織物産地としては、もっとも古い歴史を持っている。「近江麻布史」によれば、その源流は今から500年前の中世の室町時代にまで遡る事ができる。京都の社家や幕府に献上されたものの中に、高宮布(高宮麻布とか高宮細布と称されるもの)の名がみられる。
1449年 |
【京都吉田の社家、鈴木氏の日記】 近江国高島軍社家岡出雲高宮十端上ル、敦賀ノ社家谷野志摩ヨリ 鳥目百疋高宮五端。 |
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1548年 |
京極高清が「細美五端」を幕府へ献上。 佐々木六角定頼が高宮布十端を本能寺の証如に贈る。 |
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1600年 | 高宮が彦根藩領になると、麻布が井伊家で進物用として取り上げられる。 | |
1615年 | 高宮座が認められた。 | |
1751年 | 1763年 |
野洲晒 生産高 年100万反。 1718年の野洲村明細御改帳によると「布晒仕候」もの130軒。 |
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1799年 | 国産方(藩の機関)の設置。 | |
1831年 | 麻布業者 犬上郡(29人) 愛知郡(13人) 神崎郡(16人) | |
1850年 | 高宮の郡旧新蔵は、板締絣を発明。 | |
1879年 |
「各営業総代名簿附組合村名」という写本による業者数 神崎郡(632人) 愛知郡(616人) 犬上郡(381人) |
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1886年 |
「近江麻布営業組合人名簿」より 買継商(9人) 持下り商(84人) 仲買商(87人) 製造人(275人) 小売商(54人) 絣屋(56人) 行商(42人) 晒屋(25人) 製造家(400人) 合計 1,032人 (この他、賃織職人5,374人とある。) |
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1898年 | 近江麻布同業組合の設立。 | |
1900年 | 生産高 793,564反 |
1901年 | 組合立の染晒試験場の設立(愛知川)。 | |
1915年 | 縮み地風の麻布団地の生産。 | |
1917年 | 組合員数 6,363人 | |
1933年 | 組合員数 1,939人 | |
1935年 | ラミー糸による縮み絣の製品化。 | |
1939年 | 糸配給規則の公布。 | |
1942年 | 近江麻布同業組合の解散。 | |
1950年 | 1960年 |
縮み絣の復活。麻混芯地の生産急伸。 | |
1957年 | 滋賀県麻織物工業協同組合の設立。(事務所:愛知川町) 組合員数 20名 | |
1958年 | 湖東繊維工業協同組合の設立。(事務所:能登川町) 組合員数 45名 | |
1980年 | 湖東繊維工業協同組合 役員改選 理事長 河崎 耕一氏 就任 | |
1981年 | 湖東繊維工業協同組合 役員改選 理事長 辻 昇一氏 就任 | |
中小企業対策臨時措置法に基づき、湖東の麻織物業として産地振興事業の指定を受ける。 (事務所:湖東繊維工業協同組合) |
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2市7町、大同団結を図る。 (八日市市・彦根市・能登川町・愛知川町・五個荘町・安土町・湖東町・秦荘町・豊郷町) 組合員数 65名 |
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1984年 |
湖東繊維工業協同組合 青年部会結成 初代部長 森 善一 森善産業(株) 部員数 16名 |
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1991年 | 湖東繊維工業協同組合 役員改選 理事長 山岸 長兵衛氏 就任 | |
1997年 | 湖東繊維工業協同組合 役員改選 理事長 山田 清史氏 就任 | |
2003年 | 組合員数 36名 |
先染め、糸加工
琵琶湖に注ぎ込む澄んだ水と最高の環境で染める麻は、他の追随をゆるさない仕上がりとなります。
糊付け加工
▽コンニャク加工
健康食品にも使用されている蒟蒻芋が原料で、水に溶解して糊状にし、各種糸にコーティングを施した一本糊付加工で、歴史的には70~80年前から行われてきた加工です。主に麻糸に加工を施し、古くから着尺地、縮夏座布団、寝具等に使用されています。
コンニャク加工糸は、糸に光沢と程よいシャリ感、清涼感を与え夏用素材に最高かつ最適の加工といえます。天然素材を使用していますので肌に優しく、環境にも優しい加工です。
最近は、ニット製品にも使用されるようになり、従来の加工では出来得なかった、先染糸にも対応出来、濃色の粉が落ちる問題も解消し、又後染糸を使用しても粉落ちの心配がなくなりました。
▽F加工
F加工は、溶解性一本糊付加工で、古くより麻糸のタテ糸に施され、織物の製織性を高める為に使用されています。最近は、各種素材(生成・先染糸)に利用されています。糊材は、糊抜き可能なPVAを使用しています。
製織
琵琶湖の恩恵を受けて織られる麻は、最高の織物となります。織物とは、たて糸とよこ糸が組み合わされて、出来た布地の事です。近江の麻織物は、服地(メンズ・レディース)、帽子、バッグ、寝装品など幅広く展開しております。
織りの製造工程は、まず 糸割り と呼ばれる、たて糸を必要本数準備する作業から始まります。次に、たて糸を繊機(織物を織る機械)に乗せるために巻き上げる 整経(せんけい) : たて糸準備 という作業を行います。そして、巻き上げたたて糸を織機に乗せてよこ糸を織り込みます。
整理加工
生機(反物)を、用途に応じた生地にする工程にはいります。
整理加工(P下・晒加工、風合仕上加工、各種機能性・特殊加工など)された生地は、検反(生地検査)包装・梱包され出荷のはこびとなります。
整理加工により、近江の麻ならではの風合いに仕上がります。
“近江の麻”の湖東産地では、数多くの伝統的な技が世代を超え、現代へと継承されてきています。先人たちが滋賀の湖東地方の気候風土を活かし、麻織物産地へと発展させたのも、大きな括りで言えば“技”ではないでしょうか。
湖東はなぜ“麻”なのか? とよく言われますが、それは湿度に関係があります。
麻は強靭で耐水性にも優れていることから、織物だけでなく蚊帳・ロープ・弓矢の弦や鼓の紐など実用的な素材である反面、製織(糸から織物)までの工程においては乾燥に弱く、空風(からかぜ)の吹く時期には糸を湿らせて織ることもあります。麻産地には湿潤な気候が求められ、雪深い越後や能登、琉球の亜熱帯性の多湿な気候など、それぞれ麻織物に適しています。
“近江の麻”の湖東産地は、滋賀県の「水がめ」びわ湖の東岸に位置し、遠くには鈴鹿山脈を望んでいます。産地は、豊かな水を湛える湖面からの湿潤な空気(霧)と、鈴鹿山系から湧き出る清らかで豊富な水量の「愛知川」が産地のまん中を流れるなど、自然の恵みの中で発展してきた産地です。
400年の伝統ある技術によって織り上げられた麻生地を、昔ながらの技法により作り出された「しぼ」加工品。主に座布団地などは、強い撚りをかけた緯(よこ)糸を使い織り上げ、手もみ作業により縦方向の「しぼ」が生じます。手もみによる加工が麻の硬さを和らげ、シャリ感と「しぼ」の凸凹で空気の層ができ、ちょうど良い肌触りが得られます。
「ほぐし捺染」は簡単にいえば、糸にプリントした織物といえます。普通のプリントは布地に柄を切った型紙をあて染め柄を出しますが、「ほぐし捺染」は糸のうちに染めます。「ほぐし捺染」は仮織りの緯糸をほぐしながら織ることから「ほぐし織り」とも呼ばれています。
表裏が同じように染色されるため、裏返しても同じように扱えるのが特徴です。
経糸と緯糸が重なりあって、色柄の柔らかさ、温かみ、深みのある色調を生み出します。
長い台の上に織り上げたと同じ状態に糸を並べ、その上から型紙(型枠)で柄を手捺染し、織機にかけて織ります。この場合、単に糸を並べたのでは、染めるうちに糸の乱れが生じるので、染める糸をあらかじめ織機にかけ、ザックリと「仮織り」をしておきます。
緯糸の場合は、仮織りはせず、織り幅と同じ板に、織る時と同じ密度に緯糸を巻き、同じ型紙で柄を手捺染します。板に糸が巻いているので、反対側(裏側)も同じように染めますが、型紙は必ず裏返して使います。
染め、織りのすべてが手作業で1反仕上るのに2ヶ月近くかかります。現在の近江上布の製品は、生産技法により生平(きびら)と絣(かすり)に大別され、絣はさらに縮(ちぢみ)と平(ひら)に分けられます。いずれも手織りの平織が本来の手法ですが、現在は櫛(くし)押捺(おしなっ)染(せん)や型紙捺染などの手作りの伝統技法を守りながらも、製品の大半は機械化されています。
伝統的な近江上布の生平は経糸(たていと)に苧(ちょ)麻(ま)の紡績糸を使い、縦糸(よこいと)に手(て)績(う)みの大麻を使用します。この大麻の使用が近江上布の特徴です。もともと近江は大麻の栽培が盛んであったため、明治ごろまでは大麻を使用していましたが、以後は機械紡績し易い苧麻が主原料と換わっていきました。生平は主として、座布団地・夜具・帯・法衣(ほうえ)などに用いられます。絣は、経糸・緯糸を先染めにして製織します。盛夏用着物が中心で、着尺・帯・襦袢・甚平などに用いられます。
絣織りのさまざまな技術を用い、作り手が得意の意匠を活かした伸びやかな表現に特徴があります。「絵絣」は、創作した図案で型を彫り、織る前に緯糸に羽根巻きにして手で染め付けておき、一旦かせに巻き取ってさらに巻き直し、絣模様がずれない様細心の注意で織り上げます。掛け軸や屏風などの作品があります。
絣の時代は、「櫛押捺染」技法による櫛押絣で始まりました。櫛押しは、ちょうど櫛の背に似た弧形の木片に染料を付け、張った糸に押捺して染色することから名づけられました。当初は、墨を染料に使った黒い絣や紺絣にも用いられたが、さらに多様な柄や色に対応できるよう技術改良され、今も伝統技術として継承されています。
より多彩なデザインや色調に対応するには、綿密な絣柄設計技術が要求されます。設計には、細長いボール紙を重ね合わせ束にした羽定規を使い、羽定規の断面部に指定されたデザインを描き、さらにばらして1枚1枚に印された色のとおりに、糸の上に櫛押しで捺染していく染色法です。糸を括らないので糸に負担がかからず、染め際もくっきりと織りあがり、上品な文様ときめ細かい風合いが、清涼感を増します。
昭和8年(1933)、羽根巻きによる「型紙捺染」の技法が考案され、「麻(あさ)縮(ちぢみ)絣(がすり)」が商品化されました。「型紙捺染」は大柄や中柄、多色遣いの模様に向いています。まず緯糸は強燃糸を使い、羽根巻きといって、着尺幅の金枠に緯糸を巻きつけ、柄彫りした型紙の置き捺染していく染色法です。